【30】文京区関口 芭蕉庵
芭蕉庵と言えば江東区深川を思い浮かべますが、文京区関口にもあります。俳人・松尾芭蕉は土木技師でもあり、神田上水の改修工事に携わった際にこの地に居を構えていたそうです。その後に深川に移り住み、奥州へと旅立ちました。
東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅から関口芭蕉庵まで、神田川沿いに遊歩道が整備されています。神田上水は関口付近で水位を上げ、小石川の水戸屋敷(現・後楽園一帯)を通って日本橋や神田に給水していました。写真の石柱は水位を上げるために使われたもので、昭和8年(1933年)に上水道の役割を終えたことでここに移設されたそうです。
黄色い塀は椿山荘。山県有朋の屋敷跡ですね。もう少し歩くと芭蕉庵です。
芭蕉の三十三回忌に作られた木の象がここに祀られているそうです。しかし中の様子を窺い知ることは全くできませんでした。
芭蕉翁之墓と彫られてあり、「えっ、あの松尾芭蕉ってこんな地味な場所に眠っているの?」と驚きました。芭蕉本人がこの下にいるわけではなく、「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」という句の短冊が納められているそうです。本当の墓は滋賀県にあるとのことです。
都心とは思えないほど園内は鬱蒼としています。
有名な「古池や…」の句が思い浮かびますが、ここで詠んだわけではないそうです。
芭蕉庵の出入り口の横にある胸突坂。あまりに勾配がきつく、自分の胸を突くようにしなければ上がれないために命名された、という説明書きがありました。たしかに急でしたが、「自分の胸を突くように」という表現がどういう意味なのか分かりませんでした。そういう慣用句があるのでしょうか。
※Rocoh GRで撮影