【49】台東区浅草 旧猿若町
今はオフィスと住居が混在する特徴のない一角ですが、かつてはニューヨーク・ブロードウェイのような賑わいを見せていたのだと思います。江戸時代末期の約30年間、ここは中村座、市村座、守田座の芝居小屋が集まる歌舞伎の街でした。
浅草観音裏の東側、隅田川のすぐ近くです。歌舞伎は風紀を乱すとして、天保の改革で芝居小屋の廃止が打ち出されました。しかし、遠山左衛門尉影元(遠山の金さん)の「娯楽を奪うことは却って人心の安定に役立たない」との提言を受け、江戸城に近い日本橋周辺からこの地に移転することになったそうです。
芝居町の面影は、この小道具屋ぐらいです。あとは中村座、市村座、守田座の三座があったことを示す碑が立っています。
小道具屋のショーウインドー。
猿若町の名前の由来は、江戸歌舞伎の始祖「猿若勘三郎(初代・中村勘三郎)から取ったそうです。現在は浅草6丁目に改編されています。2000年に中村勘三郎が立ち上げた「平成中村座」が一時期、近くの隅田公園で芝居小屋を設営し、公演をしていました。
三座は明治に入ると都内各地に移転、猿若町の繁栄は30年ほどで幕を閉じました。写真は、今や営業していないと思われる雀荘。冷暖房完備と、電話番号の頭に「3」がないのが時代を感じさせます。
※Fuji X20で撮影