【102】北区赤羽台 公園に残る防空壕
戦前の北区は工廠など陸軍の施設が多く、東京が軍都だった時代を忍ばせる跡が今も残っています。昨年のこの時期は王子の中央図書館を訪れましたが(【35】の回、この記事の最後にリンク)、終戦から70年を迎える今年は「赤羽台さくら並木公園」にある防空壕を見てきました。
入口は下ほうが埋まっています。それでなくても人が屈んで通り抜けられるかどうかいうぐらいの大きさです。奥にどのくらいの空間が広がっているのか分かりませんが、空襲警報が鳴って急いで駆け込もうとしても、1人ずつ入るしかなさそうです。
金網の向こうに保存されています。周囲に軍事施設が多かったので、この辺りは空襲の標的にされたのではないかと推測します。この防空壕は軍のものだったのか、市民が使用していたのかは分かりません。
公園は鬱蒼と木が茂っていて、セミの声に包まれていました。70年前、ここはどんな風景だったのでしょうか。
JR赤羽駅から公園に行くには、赤羽台団地を通ります。戦前は陸軍の被服本廠(軍服や軍靴の工場)があったそうです。戦後は1960年まで米軍が接収、その後は高度経済成長期の人口増に対応するため、大規模団地として造成されました。
日本の経済成長を支えた他のマンモス団地同様、赤羽台団地も老朽化し、どんどん建て替えられています。
※Sony RX100で撮影
よろしければ併せてご覧ください。