Shooting Tokyo

東京を撮り歩く

【113】北区赤羽台 朽ちゆくマンモス団地

JR赤羽駅から15分くらい歩いたでしょうか、不思議な空間に引き込まれました。広大な敷地に3、4階建ての建物がずらりと並び、まるで校舎と寮が混在するアメリカの大学の巨大キャンパスのよう。しかし、そこを歩くのは若い学生ではなく、高齢者ばかりでした。戦後の住宅難を解消するため、昭和20年代に造成が開始された桐ヶ丘団地は、今ではすっかり時代に取り残され、過疎化が進んでいるようです。

 

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団地の中にある商店街。かつてはこの商店街で用が足りたのだと思います。しかし、今やほとんどの店舗がシャッターを降ろしています。周囲にはあまり店がなく、高齢の人たちはどうやって日常品を買っているのか不思議です。

 

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客層は謎ですが、玩具店は営業していました。以前にテレビ東京の散歩番組「モヤモヤさまぁ〜ず」で取り上げられているのを見ました。万国旗が何だか物悲しい雰囲気を醸し出しています。

 

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玩具店の向かいに、この場所に似つかわしくないカフェらしき店がありました。社会福祉法人が経営しているカフェレストラン「長屋」です。健康的なメニュー、これで500円! 65歳以上にはさらに割引があります。住民の憩いの場になっている感じでした。とても美味しくいただきました。

 

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北区は弾薬の倉庫や工廠など、軍需施設が多くあった場所です。そうした軍用地が戦後に団地として造成されました。桐ヶ丘もその1つです。

 

f:id:konob301:20150828221959j:plain郵便局がありました。銀行の用も団地内で済ませることができます。

 

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新しい建物が建つようです、1995年から建て替え計画が進んでいます。右奥に見えるのは中学校です。私が立っている場所の後ろにはプールがありました。左奥は給水塔と、この団地にしては珍しい高層棟です。

 

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桐ヶ丘団地に最初の棟が出来たのは1954年。1975年までに約6000世帯分がつくられ、人口増加と高度経済成長を支えました。半世紀以上が過ぎ、住人の高齢化だけでなく、建物の老朽化も進んでいます。

 

Sony RX100で撮影

 

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