Shooting Tokyo

東京を撮り歩く

【番外22】米国ハワイ州オアフ島 真珠湾に沈む戦艦アリゾナ

1995年夏、米ワシントンの航空宇宙博物館で原爆展を見ました。映像コーナーの最後できのこ雲が立ち昇ると、会場から拍手が沸き上がったのを覚えています。今年の夏に訪れた真珠湾も、展示を見て嫌な気分になるだろうなと覚悟していました。ところが内容はとても冷静、愛国心を煽ることもなくフェアでした。

 

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艦隊同士の決戦が主流だった当時の戦争に、航空戦力を使った新しい戦術を持ち込んだ日本軍は、真珠湾に終結していた米海軍の主力艦の多くを無力化しました。4発の爆弾を受けて沈んだ戦艦アリゾナは、今も引き揚げられないまま、約1000人の海軍兵とともに海底で眠っています。同艦から漏れている油が75年たった現在も海面を漂う様子は、「アリゾナの涙」と呼ばれています。

 

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沈んだアリゾナの上には写真のような記念館が建ち、戦没者の追悼施設となっています。

 

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 沈んだアリゾナの砲塔です。

 

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記念館からは戦艦ミズーリが見えます。1945年9月、日本は同艦上で降伏文書に調印しました。

 

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記念館へは湾の桟橋から船で渡ります。出航までは展示コーナーを見学。日本の開国から第2次大戦終結までの日米関係史を学ぶことができます。日本を一方的に悪者扱いするのではなく、遅れて近代化した日本が領土拡張するにいたった背景、日本の中国大陸進出に対し米国が取った制裁、結果として日米がぶつかることになった経緯を、客観的に説明しているように思いました。

 

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日本軍が攻撃を成功させた理由の1つが、水深の浅い真珠湾でも使えるように開発したこの魚雷です。開戦初期は熟練の戦闘機パイロットが多数存在していたことも、大きかったようです。

 

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米軍は真珠湾に、当時まだ画期的だったレーダーを備えていました。日本軍の機影を捉えていましたが、当直が米本土から飛来予定の自軍機と勘違い、せっかくの情報を活かせませんでした。

 

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真珠湾で多くの戦力を失った米軍は、日本軍の暗号を研究しました。写真の解読機で暗号を読まれた日本軍は、1942年6月のミッドウェー海戦で空母4隻を失う大敗を喫しました。米軍はここから反転攻勢していくことになります。 

 

Sony RX100で撮影

 

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