【220】板橋区加賀 旧軍の火薬工場跡
板橋区から北区にかけて点在する旧日本軍の工廠跡。72年前に終わった戦争に思いをめぐらしながら、都営三田線の板橋区役所前駅から徒歩10分の加賀公園へ行ってきました。戦前は火薬製造所があった場所で、園内には今もわずかに遺跡があります。隣接地ん残っていた建物を含め、板橋区がいま新たに史跡公園として保存しようとしています。
もともと加賀藩前田家の下屋敷だった場所に、明治以降は旧軍の火薬製造所が造られました。写真は加賀公園内に残る射撃場の跡です。射撃場は明治10年に出来たそうです。
戦後は、旧日窒コンツェルンの創始者が創設した「野口研究所」として使われていた火薬研究所の跡地。土管のような構造物は、火薬研究所時代に弾丸の速度を計測するために使われていたものだそうです。野口研究所が一帯の再開発計画を立てたため、一部を板橋区が買い取り、史跡公園として整備しようとしています。2020年に一部が完成、公開される予定です。
石神井川の流れを利用し、火薬製造所の動力にしていたそうです。
理化学研究所も火薬製造所の跡地に入居していました。湯川秀樹、朝永振一郎といった、名だたる科学者がここで研究していたそうです。
隣接する愛誠病院にも、赤い屋根の工廠跡が残っていました。
大正時代に創立した愛歯技工専門学校の敷地にも。この学校、2019年に閉校するそうです。
かつてはレンガ造りだったのでしょうか。
※Ricoh GRで撮影