【115】文京区音羽 戦後史の「証人」 鳩山会館
居並ぶ大邸宅の中でもひときわ目を引く洋館が、目白の高級住宅街にドーンと立っています。鳩山一郎元首相が暮らした「音羽御殿」です。関東大震災の翌年の1924年に完成、現在は「鳩山会館」として一般公開されています。多くの政界関係者が訪れ、ソ連との国交回復に向けた議論も行われたという館内にいると、戦後政治を動かしてきた彼らの話し声が聞こえてきそうな気がしました。
鳩山一郎元首相と言えば、ソ連との国交を回復させた1956年の日ソ共同宣言。その準備は、この私邸でも行われたそうです。55年には、ソ連駐日代表部のドムニッキー主席代理が訪れています。
1階のサンルームです。館内に喫茶店はありませんが、ここに設置された自動販売機で飲み物を買い、窓の外に広がる庭を眺めながら休むことができます。殺虫剤のスプレーがテーブルの上に置いてあったりして、やや興ざめの部分も。詰めが甘い。
2階の大広間。夜な夜な舞踏会でも開いていたに違いない、と思わせる広さと雰囲気でしたが、一般公開に当たって寝室3間を改装したのだそうです。集会場として借りることができます。
大広間の窓から庭を見下ろすことができます。左奥に鳩山一郎氏の像が立っています。今の時期はバラが見頃です。吉田茂元首相も鳩山邸を訪れています、おそらくこの景色を見たことでしょう。
ステンドグラスがいたるところに。大正から昭和にかけて活躍した小川三知氏の作品だそうです。ステンドグラスと和のデザインの組み合わせが新鮮です。友愛の象徴、鳩も…。
すぐそばにある筑波大付属中学・高校(当時は東京高等師範学校付属中)で鳩山一郎氏と同級生だった岡田信一郎氏が設計したそうです。岡田氏は、重要文化財に指定されている明治生命館の設計も手がけた当時の代表的な建築家です。