【番外34】沖縄県豊見城市 海軍司令部壕
第2次大戦中の日本で唯一地上戦が行われた沖縄。70年以上経つ今もその爪痕がはっきり残る場所が、本島南部の豊見城市にあります。米軍が上陸してくる3カ月前に掘られた旧海軍司令部の地下壕です。海軍の沖縄根拠地隊はここに立てこもり、最期を迎えます。幕僚室の壁には手榴弾で自決した跡が残っています。太田実司令官が1945年6月6日の自決直前に本省へ送った「沖縄県民かく戦えり」という電文は有名です。
105段、20メートルほどの階段を降りると、迷路のような地下トンネルが広がっていました。ひんやりとした空気が下から上がってきます。
コンクリートと杭木で固められ、米軍との持久戦のために作られました。海軍の設営部隊がツルハシで450メートルもの地下トンネルを掘りました。4500人の兵士が収容され、下士官は立ったまま寝る有様だったそうです。
司令官室。拳銃で自決した太田中将は、女性も子供も動員され、たくさんの犠牲者が出た沖縄県民の様子を海軍次官に電報で伝えました。電報は「県民に対し、後世格別の御高配を賜らんことを」と結んでいます。戦後の沖縄が1972年まで米軍に占領され、今だにたくさんの基地があることは周知のとおりです。
幕僚室。正面の壁に残る大量の黒点は、自決に使った手榴弾の跡だそうです。
壕の出口。ここから、たくさんの兵士がろくな武器も持たずに突撃していきました。ほとんどが帰還することはなかったそうです。
壕が残る豊見城丘陵は、公園として整備されています。東シナ海や那覇空港、首里城などが臨めます。
※Sony RX100で撮影