Shooting Tokyo

東京を撮り歩く

【260】東京都清瀬市 武蔵野の森にさまよう戦争の記憶

8月15日を迎えるに当たり、結核に苦しむ軍人を収容した傷痍軍人東京療養所(現・東京病院)を訪れました。敷地内のうっそうとした森の中に今も残る粗末な掘建小屋。今のように有効な治療薬がない当時、木製の硬いベッドの上で彼らは寝起きし、新鮮な空気を吸って再起を目指しました。セミのやかましい鳴き声が、かえって静寂を際立たせていました。

 

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清瀬市には結核関係の施設が数多く存在します。清瀬駅から東京病院に向かう途中にあるこの日本BCG研究所もその1つ。満州事変が勃発した1931年、増大する結核患者に対処するため、東京府清瀬病院が設立されたのがその始まりです。その後、ベトレヘムの園や救世軍清新療養園、傷痍軍人東京療養所など続々と関連施設が設立されました。

 

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東京病院の真横に立つ救世軍清瀬病院(旧・救世軍清新療養園)。

 

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 清瀬駅から15分ほど歩き、東京病院の入り口に到着しました。「えっ、病院?」というのが第一印象。以前に訪れた青木ヶ原樹海の入り口のような、手入れされていないうっそうとした森が広がっていました。

 

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いったい何年式のクルマ?という放置車も。

 

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敷地内を5分以上歩くと、ぽつんと小屋が現れました。「外気舎」と呼ばれた結核患者の療養施設です。国会の座席のように、72棟が扇型に並んでいたそうです。今はこの1棟のみが残されています。

 

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室内には木製ベットが2つ。2人1組で生活してそうです。空気の循環を良くするため、冬の夜も窓は開け放しだったとか。今よりも確実に気温は低かったでしょう。残念ながら鍵がかかり、中には入れませんでした。

 

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食器が置かれていました。

 

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外気舎の向かいにあった運動場。今は手入れがされていない武蔵野の雑木林です。戦争が激化するにつれて食糧不足が深刻化し、この運動場は畑となっていたそうです。

 

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外気舎の隣に立つ石碑。「再起奉公」と記されています。病に伏してもなお、国に身を捧げろ、と。

 

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外気舎の周りに人影はなく、聞こえるのはセミの声のみ。ここで命を落としたたくさんの人が、今もさまよっている気配を感じました。

 

Sony α6300で撮影

 

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