【48】墨田区両国 回向院と史跡めぐり
JR両国駅の改札を出たら、国技館とは逆方面へ。京葉道路を渡ると相撲興行発祥の地、回向院があります。周辺には芥川龍之介や勝海舟ゆかりの碑、赤穂浪士が討ち入りした吉良邸跡などもあり、狭いエリアに見どころが凝縮されています。
江戸市中を焼いた明暦の大火。その犠牲者を葬った「万人塚」が両国回向院の始まりです。1768年に初めて境内で相撲大会が催され、寺の隣に国技館ができるまでの76年間、春・秋場所がここで行われていたそうです。
すべての命あるものを弔うという理念のもと、動物の墓もあります。これは犬猫供養塔の天井部分です。鼠小僧もこの寺に眠っており、墓の前に置かれた岩を削って持ち帰ると、金回りが良くなるとか・・・。
回向院隣の旧両国国技館跡地です。今はスポーツクラブやレストラン、マンションが混在する複合施設になっていますが、土俵を模した地面のデザインが歴史を物語っています。こんな所にヘリポート?とずっと思っていましたが、今回の散歩で謎が解けました。
芥川龍之介は築地に近い現在の中央区明石町で生まれましたが、生後7カ月のときに母親が病気になったため、両国にある伯父の家に引き取られました。両国小学校、府立三中(両国高校)を卒業しています。それにしてもこの碑、新築マンションの前に立っていて、当時の様子がまったく想像できません。
両国小学校の隣にある両国公園。運動会を終えた児童が元気に走り回っていました。この普通な感じの公園の端っこに、勝海舟生誕の地の碑が立っています。
赤穂浪士が討ち入りした吉良邸は、2550坪の広大な屋敷だったそうです。現在は本所松坂町公園としてごく一部が保存され、なまこ壁が再現されています。
隅田川へ注ぐ運河、竪川。頭上に首都高が通っているのが残念ですが、江戸の風情が感じられる一画です。
陽が落ちて来たので、両国橋を渡って浅草橋方面へ帰宅します。向こうに見える緑色にライティングされた橋は柳橋です。
※Fuji X20で撮影