Shooting Tokyo

東京を撮り歩く

【118】千代田区神田須田町2丁目 今さら気づいた穴場

自転車や徒歩で何度も通っている界隈なのに、初めて見るラーメン屋がふと目に飛び込んできました。そしてじっくり周囲を見回してみたら、絵になりそうな年季の入った建物がけっこう残っていることに気づきました。無味乾燥なオフィス街だと思って通過していた場所も、注意深く歩けば被写体を発見できることを今更ながら学びました。

 

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ボタンや裏地など、服飾製品を扱う「岡昌裏地ボタン店」。明治30年の創業だそうです。写真では分かりづらいですが、昭和初期に建てられた看板建築です。

 

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その数軒隣にある「当たり屋」。ラーメン屋ではなく、汁なしちゃんぽんの店でした。この店を見つけたことがきっかけで、周辺をぶらつくことにしました。

 

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看板メニューの「雷々麺」、ピリ辛のあんがチャンポンに絡まり、すごく美味。最後はご飯を投入し、残ったあんと混ぜていただきます。戦後すぐに宮崎県都城市で創業、4年前にこの場所に東京店を出したそうです。店の人たちが気さくで、接客が好印象でした。

 

f:id:konob301:20151031230920j:plain神田川沿いに佇む柳森神社。江戸城を築いた太田道灌が1458年、鬼門の方角に京都伏見稲荷を誘致してきたのが始まりだそうです。数え切れないほどこの神社の前を通っているのに、境内に足を踏み入れるのは初めて。

 

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なぜかキツネじゃなくてタヌキが・・・。徳川五代将軍綱吉の母である桂昌院が、江戸城内に「福寿いなり」を創建、のちに柳森神社の境内に移されたそうです。八百屋の娘だった彼女が将軍の側室になったことにちなみ、「他抜き(たぬき)」が祀られているのだとか。出世のご利益があります。そうか!今までここに来てお参りしたことがなかったから出世とは縁遠かったのか。

 

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この一角は年季の入った建物群が残っています。神田はバブル期に地価が高騰し、地上げ屋のターゲットでした。放火事件もあったようです。

 

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須田町2丁目と秋葉原電気街のある佐久間町1丁目をつなぐ「神田ふれあい橋」。真横を通る東北新幹線の線路建設のために架けられた橋ですが、地元住民の要望で新幹線完成後も撤去されずに残りました。

 

Ricoh GRで撮影

 

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